著作権法第2条定義 一 著作物

条文

第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
一 著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。

定義

著作物の定義

現行の著作権法は、著作物の範囲を明確にし、どのような作品が著作権で保護されるかを区別しています。この法律では、著作物の定義が広範かつ抽象的に設定されており、新しい形式の表現物も保護の対象になる可能性があります。その結果、多様な種類の作品が著作権保護の範囲内に含まれることが意図されています。

また、この法律では著作物の具体例も提供されており、言語作品からプログラムに至るまで9種類が挙げられています。これにより、一般的にどのような作品が著作物とみなされるのかが示されています。
ただし、著作物かどうかの最終的な判断は、その作品が法律の定義に適合するかどうかによって決まります。そのため、例示されていない作品でも、定義に適合すれば著作物と認められることがあります。

著作権法の保護要件

「著作物」と扱われるためには、以下の四つの基準を満たす必要があります。

(1)思想又は感情を
(2)創作的に
(3)表現したもの
(4)文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの
著作物として認められるためには、これらの定められた四つの基準を全て満たす必要があります。これらの基準のいずれかが欠けている場合、その作品は著作物とは見なされず、著作権法の保護範囲外となります。一方で、これらの基準を全て充足している作品は、通常、著作物として認定され、著作権法による保護を受けることができます。ただし、特定の状況や政策上の理由から、例外的に保護が拒否される場合も存在します。

(1)思想又は感情を

著作物として保護されるためには、その中に人間の思考や情感が反映されていることが必須です。この文脈における「思想や感情」とは、人間の精神的な活動を広く包括する概念を指しています。著作権の目的は創造的な表現を奨励することにあるため、人の思想や感情に根差した表現形式だけが著作権法による保護の対象とされます。

『「思想又は感情」とは、人間の精神活動全般を指し、「創作的に表現したもの」とは、厳格な意味での独創性があるとか他に類例がないとかが要求されているわけではなく、「思想又は感情」の外部的表現に著作者の個性が何らかの形で現われていれば足り、「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属する」というのも、知的、文化的精神活動の所産全般を指すものと解するのが相当である。』

(東京高判昭和62年2月19日無体集19巻1号30頁 [当落予想表事件])

著作物としての認定において、表現されている思想や感情が特に芸術的や学術的に高度である必要はありません。単純に、個人の思考や感情が表現されていることが要求されます。これは、思想や感情の独創性を客観的に測定することが難しく、その優劣を基に著作物性を決定することが適当ではないためです。
「思想または感情」という用語は、何かを表現する過程で生じるものを指しますが、表現の対象自体が直接的に思想や感情である必要はありません。たとえば、事実を伝える記事やニュースも、その事実をどのように表現するかによって作成者の思想や感情が反映され、そこに個性が現れる場合、その表現は著作物としての保護を受けることがあります。

思想または感情が含まれないもの
自然の造形物や動物が描いた絵など

事実やデータ

事実やデータは、客観的に存在するものであり、それ自体に人間の思想や感情は含まれていないため、それらは著作物とはみなされません。

例えば、

『自然科学上の法則やその発見及び右法則を利用した技術的思想の創作である発明等は、万人にとって共通した真理であって、何人に対してもその自由な利用が許さるべきであるから、著作権法に定める著作者人格権、著作財産権の保護の対象にはなり得ず』

(大阪地判昭和54年9月25日判夕397号152頁〔発光ダイオード学位論文事件〕)

『自動車部品メーカー及びカーエレクトロニクス部品メーカー等の会社名、納入先の自動車メーカー別の自動車部品の調達量及び納入量、シェア割合等の調達状況や相互関係をまとめたものであるが、会社名、調達量及び納入量、シェア割合等は事実若しくはデータであり、それを表現したものは思想又は感情を創作的に表現したものではない。したがって、本件データは著作権法上の著作物には該当しない。』

(名古屋地判平成12年10月18日判夕1107号293頁〔自動車部品調査データ事件〕)

『素材それ自体の価値や素材の収集の労力は,著作権法によって保護されるものではないから,仮に原告が事実情報の収集に相当の労を費やし,その保有する情報に高い価値を認め得るとしても,そのことをもって原告リストの著作物性を認めることはできない。』

(東京地判平成11年2月25日判時1677号130頁 〔松本清張映画リスト事件] )

事実やデータは、国民による多様な表現の基盤として機能します。これらを特定の個人や団体が長期にわたって独占することは、表現の自由を不当に制約する恐れがあります。そのため、事実やデータを保護する場合には、その利用を妨げないように保護の基準や範囲を明確に定めることが重要です。事実やデータの収集にかかる投資を保護するため、不正競争防止法によるデータ保護の枠組みが設けられています。

虚偽の事実やデータは、人間が創作したものですが、これらが事実として提示され、他人に事実として受け取られる場合でも、思想や感情の表現とはみなされず、著作物としての性質は否定されるべきです。事実として提示されている情報は、真実であるか否かにかかわらず、自由に利用され、他者による批判や検証の機会が与えられるべきです。

しかし、事実やデータを基にしながらも、新聞記事のように創造的な工夫を加えられた表現は著作物として認められることがあります。法律では、「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道」は言語の著作物とは認めないとされていますが、これは事実の単純な提示に限定されるもので、事実を基にした創造的な表現物は著作物として認められる可能性があります。

書式・契約書等

一般的に、法律や商業の慣習に従って作成される書式や契約書が、これらの規範や慣行が示す典型的な内容を直接反映している場合、これらは単なる社会的慣行の具現化と見なされ、思想や感情の創造的な表現ではないとされます。その結果、これらの書類は著作物としての特性を有しないとされることが多いです。しかし、書式や契約書において、その内容や文面にオリジナリティや創造的な要素が含まれている場合には、これらは著作物としての資格を得る可能性があります。従って、書式や契約書をすべて創造的な表現でないと一律に断じるのではなく、その表現に創造性があるか否かを基準に著作物性を判断することが適当です。

『しかしながら,規約であることから,当然に著作物性がないと断ずることは相当ではなく,その規約の表現に全体として作成者の個性が表れているような特別な場合には,当該規約全体について,これを創作的な表現と認め,著作物として保護すべき場合もあり得るものと解するのが相当というべきである。』

(東京地判平成26年7月30日平25 (ワ) 28434号 〔修理規約事件〕)

(2) 創作的に

著作物としての保護を受けるためには、表現に創造性が必要です。たとえ大きな時間や資金をかけたとしても、創造性が欠けている場合には、その成果物は著作物として認められず保護されません。事実の詳細な収集に労力を費やしたとしても、その単独の事実では著作物と見なされないことが一般的です。

『なお、原告は、原告リストについて、その作成の困難性や資料としての価値の高さを強調するが、著作権法により編集物著作物として保護されるのは、編集物に具現された素材の選択・配列における創作性であり、素材それ自体の価値や素材の収集の労力は、著作権法によって保護されるものではないから、仮に原告が事実情報の収集に相当の労を費やし、その保有する情報に高い価値を認め得るとしても、そのことをもって原告リストの著作物性を認めることはできない。』

(東京地判平成11年2月25日判時1677号130頁〔松本清張映画リスト事件〕)

著作権法における創作性の基準は、特許法に要求される進歩性のように高く設定されていません。作品に作成者の独自性が少しでも反映されていれば、それで十分とされています。例えば、小さな子どもが描いた簡単な絵も、その子の個性が感じられる場合には、著作物としての保護を受けることができます。

創作性が柔軟に取り扱われる理由は、著作権法が文化の進展を促進することを目的としているからです。文化はその多様性によって特徴づけられ、技術のように一定の方向に向かうものではないため、作品の価値や品質に関係なく、作成者の独自性が認められる限り、それを著作物として保護することが推奨されています。さらに、文化的な表現は技術的なアイデアとは異なり、その優劣を客観的に評価することが困難であるため、著作物の保護要件として高い水準を設定すると、著作物性の判断が恣意的になる危険があります。このため、明らかに創作性が欠けている場合を除いては、広範囲に著作物性を認めるのが適切とされています。

「『思想又は感情』とは、人間の精神活動全般を指し、『創作的に表現したもの』とは、厳格な意味での独創性があるとか他に類例がないとかが要求されているわけではなく、『思想又は感情』の外部的表現に著作者の個性が何らかの形で現れていれば足り、『文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属する』というのも、知的、文化的精神活動の所産全般を指すものと解するのが相当である」とし、当落予想表は「国政レベルにおける政治動向の一環としての総選挙の結果予測を立候補予定者の当落という局面から記述したもので、一つの知的精神活動の所産ということができ、しかもそこに表現されたものには控訴人の個性が現れていることは明らかであるから、控訴人の著作に係る著作物であると認めるのが相当である。」

(東京高裁昭和62年2月29日判決〔当落予想表事件〕)

「著作権法の保護の対象となる著作物に当たるというためには、思想又は感情を創作的に表現したものであることが必要である。そして、創作的に表現したものとは、当該作品が、厳密な意味において、独創性の発揮されたものであることを要するのではなく、作成者の何らかの個性が発揮されたものであれば足りるものと解すべきである。」

(東京地裁判決平成15年11月12日〔アラウンドザワールド・イラスト事件〕)

「アイデアや解法それ自体は著作物ではない。パズルにおいては,その題材となるアイデアや解法それ自体は著作物ではなく,具体的に表現された問題文や解答の説明文(表現)が著作物性判断の対象である。」

(東京地判平成20年1月31日平18(ワ) 13803号 〔パズル事件〕)

「一般に,ある表現物について,著作物としての創作性が認められるためには,当該表現に作成者の何らかの個性が表れていることを要し,かつそれで足りるものと解されるところ,この点は,プログラム著作物の場合であっても特段異なるものではないというべきであるから,プログラムの具体的記述が,誰が作成してもほぼ同一になるもの,簡単な内容をごく短い表記法によって記述したもの又はごくありふれたものである場合には,作成者の個性が発揮されていないものとして創作性が否定されるべきであるが,これらの場合には当たらず,作成者の何らかの個性が発揮されているものといえる場合には,創作性が認められるべきである。」「原告プログラムは,上記アのとおり,株価チャート分析のための多様な機能を実現するものであり,膨大な量のソースコードからなり,そこに含まれる関数も多数にのぼるものであって,原告プログラムを全体としてみれば,そこに含まれる指令の組合せには多様な可能性があり得るはずであるから,特段の事情がない限りは,原告プログラムにおける具体的記述をもって,誰が作成しても同一になるものであるとか,あるいは,ごくありふれたものであるなどとして,作成者の個性が発揮されていないものと断ずることは困難ということができる。」

(東京地裁平成23年1月28日判決〔NEW増田足事件(プログラム著作権)〕)

創作性が否定される表現

創作性が認められないケースについて、創作性の基準は柔軟に解釈されるため、創作性の否定は特定の状況下でのみ適用されます。まず、既に存在する著作物を単純にコピーした場合が挙げられます。このような単純な模倣は、創造者の個性を示していないため、創作性は認められません。原作を忠実に再現するための高度な技術や労力が投入された模写であっても、創作性の観点からは同様の扱いを受けます。しかし、模倣のプロセス中に何らかの独創的な表現が加えられた場合は、その作品は二次的著作物としての保護を受ける可能性があります。

「著作権法は,著作者による思想又は感情の創作的表現を保護することを目的としているのであるから,模写行為の制作過程において模写制作者自身の自主的な個性,好み,洞察力,技量が発揮されたとしても,その結果としての模写作品に新たな創作的表現が付与されたと認めることができなければ,著作物性を有するということはできない。」

(平成18年5月11日東京地裁 平成17年(ワ)第26020号 損害賠償請求事件〔豆腐屋事件〕)

「本件絵画は、本件原画をそのまま機械的に模写したものではないことは明らかであって、本件絵画は、創作性を有するものと認められる。したがって、本件絵画に著作物性を認めることができる。」

(東京地判 平成11年9月28日判時1695号115頁 [煮豆売り事件〕)

「そして 「翻案」とは 「原著作物に依拠し、新たに創作性を付与して新たな著作物を創作すること」を意味するから,その著作物性は原著作物により与えられるものではなく,模写作品は,新たな創作性の付与の結果として,全体が一個の新たな著作物となるのである。」

(東京地判平成18年3月23日判時1946号 101頁 〔浮世絵模写事件〕)

二つ目の例は、不可避的またはありふれた表現です。不可避的な表現とは、ある対象を伝えるのに必要不可欠な方法を指し、一方で、ありふれた表現とは、多数の人々が類似の方法を用いることをさします。これらのタイプの表現では、作成者の独自性が不足しているとみなされ、その結果、創作性は認められません。たとえば、学術用語の定義、雑誌の休廃刊通知文、新聞の見出し、短い広告のキャッチコピーなどが、避けられないまたはよく見られる表現の例として、創作性が否定される可能性があります。

「学問的思想としての本件定義は,それが新規なものであれば,学術研究の分野において,いわゆるプライオリティを有するものとして慣行に従って尊重されることがあるのは別として,これを著作権の対象となる著作物として著作権者に専有させることは著作権法の予定したところではない。」

(東京地判平成6年4月25日判時1509号130頁 〔城の定義事件〕)

「この程度の長さの普通の文章に著作物性を認めると,幾人目か以降はこのアイディアを表現することができなくなるということを勘案しなければならないからである。」

(東京地判平成7年12月18日 知的裁集27巻4号787頁〔ラストメッセージin最終号事件〕)

「一般に,ニュース報道における記事見出しは,報道対象となる出来事等の内容を簡潔な表現で正確に読者に伝えるという性質から導かれる制約があるほか,使用し得る字数にもおのずと限界があることなどにも起因して,表現の選択の幅は広いとはいい難く,創作性を発揮する余地が比較的少ないことは否定し難いところであり,著作物性が肯定されることは必ずしも容易ではないものと考えられる。」

(知財高判平成17年10月6日平17 (木) 10049号 〔ヨミウリ・オンライン事件〕)

「すなわち,キャッチフレーズのような宣伝広告文言の著作物性の判断においては,個性の有無を問題にするとしても,他の表現の選択肢がそれほど多くなく,個性が表れる余地が小さい場合には,創作性が否定される場合があるというべきである。」

(知財高判平成27年11月10日平27(木)10049号 〔スピードラーニング事件〕)

創作性と新規性

創作物としての認識を受けるために、表現が必ずしも新しいものである必要はありません。既にある著作物と同じ表現であっても、それが一般的でない場合、創作性があると見なされることがあります。しかし、表現が新しいからといって自動的に創作性があるわけではなく、将来的に一般的になり得る新しい表現は、避けられないか普通の表現として創作性を否定されることもあります。

創作性と新規性は異なる概念ですが、新しい表現にはしばしば作成者の個性が現れることがあります。逆に、新規性がない表現には作成者の個性が表れにくいことが多いです。そのため、表現が新規であるかどうかは、創作性の判断に影響を及ぼすことがあります。

選択の幅論

最新の学説では、創作性を「選択の幅(または表現の選択の幅)」として解釈するアプローチが注目されています。「表現の選択の幅」とは、「ある作品に著作権を付与しても、なお他の者には創作を行う余地が残されている場合に、創作性があると考えるべきである」(著作権法における写真の創作性-写真の創作性判断への「表現の選択の幅」論の適用可能性-,2014,鈴木康平)

つまり、保護される表現が他者の創作を妨げることなく、新たな独自の表現を刺激し、著作物の多様化と豊かさに寄与するという理念です

従来の理論は創作性を作成者の個性の表現として考えますが、この個性の概念は文学や芸術作品のように人格的要素が強い作品には適していますが、プログラムのような実用的な作品には常に適合するわけではありません。そのため、この新しい学説は著作権法の目的に基づいて、創作性の定義を再考しようとしています。

しかし、創作性を判断する際に選択の幅に着目する方法は、既存の理論にも見られるもので、選択の幅論に固有のものではありません。

「プログラム著作物性があるというためには、指令の表現自体、その指令の表現の組合せ、そ の表現順序からなるプログラムの全体に選択の幅があり、かつ、それがありふれ た表現ではなく、作成者の個性、すなわち、表現上の創作性が表れていることを 要する」

(知財高判平成24年1月25日判時 2163号 88頁〔連結解放装置プログラム事件〕)

したがって、選択の幅論を採用することで創作性の判断に大きな変化が生じるわけではありませんが、その意義は創作性の判断自体にあるというよりは、著作物の概念から「個性」という人格的要素を排除することで、著作物の経済的な扱いを容易にし、著作権法のビジネス法としての柔軟性を高めることにあると言えます。

創作性の判断対象

著作物としての認定には、表現における創造性が重要です。背景にあるアイデアがいかに独特であっても、表現が一般的なものであれば、創造性は認められません。アイデアのユニークさに基づいて著作物と認定することは、著作権法が意図するアイデア自体の保護に繋がり、その法の基本的な原則である「アイデアと表現の二分論」に反することになります。しかし、アイデアが一般的なものであっても、その表現方法が独創的であれば、創造性は認められることになります。

「著作物性を肯定するための要件たる創作性は、表現の内容である思想について要求されるのではなく、表現の具体的形式について要求されるものである。」

(東京地判昭和53年6月21日無体集10巻1号 287頁〔日照権事件〕)

創作性が「表現」の面で評価されることが必要であるとはいえ、これは著作物の外見上の特性だけが創作性を決定するわけではありません。たとえば小説の場合、文章のスタイルだけでなく、物語の内容自体も創作性の評価に影響を与えます。他者の小説の特定のストーリーを真似て書かれた小説は、文体が異なる場合でも著作権の侵害に該当する可能性があります。小説においては、文体だけでなく物語の内容にも創造の余地が広がっており、そこでの創作活動が小説の多様性や豊かさを増進させます。

著作権侵害の訴訟においては、さまざまな要素が創作性の根拠として挙げられますが、これらにはアイデア、表現の特徴が混在することがあります。個々の要素を単独で見た場合、アイデアに相当すると思われるものも、全体としてみると表現の特徴として捉えられることもあります。そのため、創作性の判断では、各表現物の意図や性質を考慮し、どの要素を表現の特徴として見るかをケースバイケースで検討する必要があります。

創作性の高低と著作権の保護範囲

著作物における創作性、つまり作成者の個性の表れには、さまざまなレベルが存在します。小説や絵画、美術作品のように表現の自由が広い分野では、作成者の個性がはっきりと表現されることが多いです。対照的に、プログラムや実用的な作品の場合、その目的や機能のために表現の範囲が制限され、作成者の個性が出にくくなることがあります。これらの創作性の度合いは、著作権での保護の範囲と直接関係しています。創作性の高い作品はより広範な保護を受けることができますが、創作性の低い作品は保護範囲が限られ、最小限の保護、例えばデッドコピーのレベルに留まることもあります。

「交通標語には、著作物性(著作権法による保護に値する創作性)そのものが認められない場合も多く、それが認められる場合にも、その同一性ないし類似性の認められる範囲(著作権法による保護の及ぶ範囲)は、一般に狭いものとならざるを得ず、ときには、いわゆるデッドコピーの類の使用を禁止するだけにとどまることも少なくないものというべきである。」

(東京高判平成13年10月30日判時1773号127頁 〔交通標語事件控訴審〕)

「すなわち、仮に原告ソフトの表示画面を著作物と解することができるとしても、その複製ないし翻案として著作権侵害を認め得る他者の表示画面は、いわゆるデッドコピーないしそれに準ずるようなものに限られるというべきである」

(東京地判平成 14年9月5日判時1811号127頁 〔サイボウズ事件〕)

著作物の創作性のレベルに応じて、その著作権による保護の範囲を変動させることができます。著作権法が創作性を幅広く解釈する理由は、創作性が比較的低い表現にも著作物の資格を与える一方で、保護の範囲を限定することにより、他者の表現活動に対する不適切な制限を防ぐためです。このように、著作物としての保護を適切に調整することで、表現の自由と著作権の保護のバランスを保つことが目指されています。

創作性の判断基準時

創作性は作品が創作された時点で評価されます。そのため、作品が創作された際に創作性が存在すると認められれば、後にその表現が広く一般的になったとしても、著作物の性格は否定されません。著作権は作品が創作された瞬間に発生し、その後表現が一般化しても、一度付与された著作権が失われることはありません。これは、法的な一貫性と安定性を保つために重要です。また、著作権法は表現の多様性を奨励することを目的としているため、創作当初には一般的でなかった表現を創作した者に対しては、後にその表現が一般的になったとしても著作権の保護を維持することが適切です。

一方で、プログラムなどの実用的な著作物の場合、創作後に表現が標準化され、既存の著作物と同じか似たような表現が必要になることもあります。しかし、このような場合にも、作品の著作物性を否定するのではなく、権利の行使時に他者の表現の自由との調和を図るべきです。

(3) 表現したもの

著作物とみなされるためには、何らかの方法で表現されていることが必要です。この「表現されたもの」という要件には、以下の2つの側面が含まれます。

外部から認識可能であること

著作物と認められるためには、まず、表現された情報が外部で視認または認識可能な形態を取っていることが必須です。人の心の中だけに留まる情報や、外部に表現されても一般の人々に理解され得ない情報は、著作物の資格を得られません。これは、著作物が排他的な権利によって保護される性質を考慮すれば、当然の要件と言えます。他人に理解や認識が不可能な情報は、著作物としての保護対象外となります。

『控訴人電話帳の第二ないし第六分冊がいまだそのものとしては存在しておらず、したがって、右の意味で、思想又は感情を創作的に「表現したもの」となっていない以上、仮に、近い将来完成される予定であり、どのような編集方針に基づいて編集され、どの区を掲載対象とし、どのような内容となるのかなどが事前に示されていたとしても、控訴人ら主張の電話帳としての具体的な表現が存在しないのであるから、著作権法上の保護を受ける余地はないものといわざるを得ない。』

(東京高判平成12年11月30日平10(ネ) 3676号 〔アサバン事件〕)

個別具体的に表現されていること

情報がアイデアを基にして具体的に表現されていることが必要です。アイデア自体は単なる「表現」ではないため、それ自体が著作物としての資格を持ちません。この原則は、既存の著作物からアイデアを取り出して使用する行為が著作権侵害には該当しないことを示しています。著作物の保護対象は、その具体的な表現形式に限定され、背後にある抽象的なアイデア自体ではないのです。

『既存の著作物に依拠して創作された著作物が,思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,翻案には当たらないと解するのが相当である。』

(最判平成13年6月28日民集55巻4号837頁 〔江差追分事件〕)

「①著作物が思想又は感情を創作的に表現したものであって、同一人による著作物であっても個々の著作物により別々にその表現は異なるものであり、著作者の思想ないし感情は、いわばその著作物の個性に具現されていると考えられること、②著作権の享有にいかなる方式の履行も要しないことを考えると、前項にいう「表現形式上の本質的特徴」は、それぞれの著作物の具体的な構成と結びついた表現形態から直接把握される部分に限られ、個々の構成・素材を取り上げたアイデアや構成・素材の単なる組み合わせから生ずるイメージ、著作者の一連の作品に共通する構成・素材・イメージ(いわゆる作風)などの抽象的な部分にまでは及ばないと解するべきである。」

(京都地判平成7年10月19日知的裁集27巻4号721 頁〔アンコウ行灯事件〕)

「学説ないし思想それ自体の保護が著作権法の保護の範疇に属するものでない」

(東京地判昭和59年4月23日判タ536号440頁〔三浦梅園事件〕)

「原告は、被告著述部分が、原告著述部分に示された「牢盆」の解釈等について、自己の学説と同趣旨の見解を示したことをもって、自説を盗用、盗作したものであり、これは原告の著作権等を侵害するものである旨主張するかのごとくであるが、学説ないし思想それ自体の保護は、著作権法の保護の範疇に属するものでないから、原告の右主張は失当である。」

(東京地判平成4年12月16日判時 1472号130頁 〔塩政史事件〕)

「既存の著作物に依拠して創作された著作物が,思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現それ自体ではあるものの表現上の創作性がない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,翻案には当たらないと解するのが相当である。」

(東京高判平成13年9月27日判時1774号123頁 〔解剖実習の手引き事件〕)

「しかるところ、原告アイディアは、「スーパードリームボール」というスポーツについてのアイディアであって表現ではないから、原告アイディアを著作物ということはできない。原告は斬新なアイディアは著作物というべきであると主張するが、アイディアがいかに独創的であったとしても、アイディアにすぎない以上、著作物たり得ないことに変わりはないから、原告の主張は採用できない。」

(東京高判平成14年4月16日平14(ネ)605号 〔スーパードリームボール事件〕)

アイデアと表現の二分論

著作物を「表現」と「アイデア」に分け、著作権の保護は「表現」に限定されるという考え方が著作権法にはあります。アイデアには小説で言う作風、絵画で言う画風や構図などが含まれます。これを「アイデアと表現の二分論」と呼びます。

この二分論の根拠として、以下の2点が挙げられます。
第1に、著作権法が具体的な「表現」のみを保護の対象とすることは、著作権法の最終目的である「文化の発展の寄与」に沿ったアプローチです。「アイデア」は、その自由な活用と応用によって多様な創造的表現を促進します。これらを特定の個人や団体が独占することは、他者の創作の自由を不必要に制限し、文化の多様性や創造性の発展を妨げる可能性があります。したがって、アイデアを自由に利用できる環境を維持することは、新しい創作活動を刺激し、文化の豊かさを促進する上で重要です。
この方針により、著作権法は創作活動を奨励しながらも、アイデアの自由な活用を確保し、文化の発展と共有に貢献しています。具体的な表現形式に焦点を当てることで、創作者の権利を保護しつつ、同時に文化全体の恩恵を享受するバランスを取ることが可能になります。

「一般に、科学についての出版の目的は,それに含まれる実用的知見を一般に伝達し,他の学者等をして,これを更に展開する機会を与えるところにあるが,この展開が著作権侵害となるとすれば,右の目的は達せられないことになり,科学に属する学問分野である数学に関しても,その著作物に表現された、方程式の展開を含む命題の解明過程などを前提にして,更にそれを発展させることができないことになる。このような解明過程は,その著作物の思想(アイデア)そのものであると考えられ,命題の解明過程の表現形式に創作性が認められる場合に,そこに著作権法上の権利を主張することは別としても,解明過程そのものは著作権法上の著作物に該当しないものと解される。」

(大阪高判平成6年2月25日 知的裁集26巻1号179頁 〔野川グループ事件〕)

第2に、現行法がアイデアの保護に適した制度設計となっていないという点です。たとえば、特許法は技術的な思想である「発明」を保護の対象としていますが、アイデアの独占がもたらす潜在的な問題を緩和するために、保護対象や要件を厳格に限定しています。これに対して著作権法は、特許法のように保護の範囲を厳密に定めておらず、権利の適用範囲が広く、利用に限定されていないため、権利の行使が広範囲に及びます。さらに、著作権の存続期間は著作者の死後70年と長く設定されているため、アイデアの自由な活用が長期にわたって制限される可能性があります。

「すなわち、著作権法においては、手続的要件としても、特許法、実用新案法におけるような権利取得のための厳密な手続も権利範囲を公示する制度もなく、実体的な権利取得の要件についても、新規性、進歩性といったものは要求されておらず、さらには、第三者が異議を申し立てる手続も保障されておらず、表現されたものに創作性がありさえすれば、極めてと表現することの許されるほどに長い期間にわたって存続する権利を、容易に取得することができるのであり、しかもこの権利には、対世的効果が与えられるのであるから、不可避となる公益あるいは第三者の利益との調整の観点から、おのずと著作権の保護範囲は限定されたものとならざるを得ないからである。」

(東京高判平成12年9月19日判時1745号128頁〔舞台装置事件〕)

「言語の著作物の翻案(著作権法27条)とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。」

(最判平成13年6月28日民集55巻4号837頁 〔江差追分事件〕)

したがって、作品間の類似性を評価する際、重要なのは、原告の作品と被告の作品に共通する要素がアイデアに関するものなのか、それともその表現の本質的な特徴に関するものなのかを詳細に分析する必要があります。この分析の過程では、「アイデアと表現の二分論」の原則を念頭に置き、個々の創造的な表現活動を促進すると同時に、一定の自由な領域(パブリック・ドメイン)を維持するために、どの程度のレベルで著作権の保護を施すかが重要な判断基準となります。

このアプローチは、創作活動の自由と著作権による保護の間のバランスを保つために不可欠です。著作権の保護がアイデアまで及ぶほど厳格すぎると、創造的な表現の自由が抑制されるリスクがあります。したがって、アイデアと表現の適切な区分と、その上での著作権の保護の適用範囲を判断することが、文化的創造性と法的保護のバランスを維持する鍵となります。

完成・固定の要否

著作物と認定されるためには、作品が完成形である必要はなく、表現されていることが重要です。例として、スケッチ、草稿、小説の断片なども、それらに創作性が認められる場合には著作物として扱われます。表現は物理的に固定される必要はなく、録音されていない即興演奏のような作品でも、創作性があれば著作権の保護を受けることができます。しかし、著作物が物質的な形態を持たない場合には、著作権の成立や侵害の証明が難しくなることがあります。

このように著作物の保護要件に物への固定は含まれていませんが、映画の著作物の定義には「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され、かつ、物に固定されている著作物を含むものとする。」とあり、連続影像が物に固定されていることが要件の1つに含まれます。

この点は、著作権法の適用範囲とその保護の実効性に影響を及ぼす重要な要素です。物理的な形態に固定されていない著作物は、その存在や創作性の確認が難しいため、著作権侵害の立証に際して特に注意が必要です。このように、著作権法は創作物の広範な定義を持ちつつも、実際の保護と権利行使には、形態や固定性が大きな役割を果たします。

(4) 文芸、学術、美術または音楽の範囲に属するもの

著作物として認定されるためには、作品が「文芸、学術、美術または音楽の範囲に属するもの」が求められます。これは、作品が「文化的所産」であることを意味しています。著作権法は、文化的な創作物に焦点を当てて保護を提供することで、それによって産業的所産を保護する特許法などの産業財産権法との区別を明確にしています。文化は広範な範囲をカバーしており、多くの種類の表現物が文化的な価値を持つとみなされます。例えば、娯楽目的の漫画やビデオゲームも、文芸や美術の範疇に含まれ、著作物としての認識を受けることがあります。

しかし、実際に著作物性が問題となるケースがあります。
一つ目は、実用的な目的で使用される応用美術(意匠)、タイプフェイス、建築デザインなどがあります。これらは美的な要素を含むものの、「産業的所産」とみなされることが多く、一般的には意匠法などの産業財産権法によって保護されることが多いです。

二つ目は、視覚や聴覚以外の感覚に訴える表現物についても、著作物としての認識が問題となることがあります。文芸、学術、美術、音楽は主に視覚や聴覚に訴える表現であり、香りや料理のような他の感覚に作用する表現が著作物としてどのように扱われるかは、学術的な議論の対象となっています。これらの表現は感覚的な敏感さが異なるため、創造的特徴の認識が難しい場合があり、その結果、著作物性が否定されることもあります。視覚や聴覚以外の感覚に作用する表現を著作物として保護する場合、法律の明示的な規定や、必要なルールの見直しが求められるでしょう。

参考文献

『条解著作権法』(小泉直樹他、弘文堂、2023年6月15日

標準著作権法第5版(高林龍、有斐閣、2022年12月28日)

文化庁「令和5年度著作権テキスト」

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